叔母が亡くなった
先日叔母が亡くなった。去年か一昨年の健康診断で再検査の項目があり、数カ月にわたり何度も検査入院をして難病だということがわかった。それから状態はどんどん悪くなり、年末に倒れ、少し持ち直した時期もあったんだけど病気が良くなることはなかった。50代で娘は20歳。
お見舞いには2度だけ行った。1度目は変わってしまった姿やつらそうな様子に何を話していいかわからなくて、あまりまともに会話もできなかった。2度目は叔母はうなっていて、寝ているのか起きているのかもわからないし、当然会話なんてできなかった。その病気には治療法もないので、良くなることがないのはわかっていてそういう状況で本人や家族にかけられる言葉ってなんなんだろう。希望を持つことも未来のためになにかをがんばることも全部まだまだ生きるつもりでいる人間の傲慢なんじゃないかって。私はただつらさがどうか軽くなってほしい、少しでもおだやかに過ごせるようにとそれだけを願った。
叔母が入院してから、改めて叔母のことを知らなかったなと思った。コロナ前は年に2回会う程度、コロナ以降はほぼ会ってなかった。叔母は入院中、家に帰りたがっていて、2度退院して自宅で過ごしたらしい。そのことを「あのときは大変だったよね」「たくさん食べていてびっくりした」などと叔父が明るく話していて、そうかこういう家族だから帰りたくなるんだな、仲が良くていい家族だなと思った。自分は…私か夫が病気で倒れた時にこんな風に寄り添って一緒に乗り越えようとできるんだろうか、ちょっと考えたくもないな。
叔母はこれからやりたいことも見たい未来もあっただろう。でも、生きてきたなかで家族をちゃんと大事にしたらよかったとか、あのときああすればってことはあんまりないんじゃないかな。これはただの想像だけど。だからもっと関わってみたかったなと思う。
人の死から何かを学ぶ、ありかたを改める、みたいなものはクソくらえと思う。努力も希望も生きるつもりの人間の傲慢なんだと突きつけられた気がする。でも傲慢さを否定されたわけではない。身勝手に生きるしかないから、それを自覚して生きるだけ。
叔母との別れが、叔母とその家族にとって晴れやかなものでありますように。