マサムネ(概念)の正夢

イメコンとコスメと少しだけ生活の記録

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色気はどこから来るのか

こんにちは、マサムネです☺️

アンニュイで色気のある雰囲気を出したい…と常日頃から思って日々イメコンと向き合ったりあーだこーだ考えてるんですけど、最近「色気は髪と視線!」という意見を見かけた。元の発言はインスタのストーリーだったので詳細は忘れたが、髪はつやんつやんだと色気を感じる。視線も色気を感じる要素で、ギョロギョロ動くと色気がない。といった内容だったと思う。

色気について考えるのは、(そもそもない)色気を極める第一歩だと信じて改めて色気のこと考えたいと思う。

まず最初に私は好き勝手に他人に「色気がある」「色気がない」とジャッジするけど(心のなかでやってるだけだよ)自分の色気は一切客観視できていない。自分に色気ってあるの?あってくれ〜!!!って調子で色気のことはなんにもわかっていない。

そんな私でも「髪と視線」というのを見て思ってしまった…色気ってそんな小手先のテクニックでしたっけ?

髪に関しては画一的なイメージが色気につながるとは思わない。ツヤがあるのもいいけど、パサッた無造作なのもそれはそれでいい。髪をきちんとケアしている丁寧さも、髪に無頓着になってしまう余裕のなさや疲労感やらなにかに没頭してる様子もアリだな。というわけで髪に関しては、まったく共感ができなかった。視線については…わからなくはないかなあ。意味ありげに視線を交わすのってなんだか色っぽいコミュニケーションだなって思う。視線に優雅さとか、柔らかさがあるといいよね。小手先のテクニックではないと言いつつ、しゃべりかたも動きもゆったりのほうが色気がある。余裕が感じられるからなのかな?ガチャガチャ音立てるようなのもやっぱり色気は消してしまう。

細かく言えば、こういうところに色気を感じる!感じない!というのは色々出てくるけど、正直それって好みが大きいのかも。人によって違う部分も多そう。色気道(?)振り出しに戻る。

それでも最近感じてるのは、「生活感」が色気と対極にあるということ。機能性や実用性がなければないほど色気が感じられる気がする。日常や内面がわからなければわからないほどいい。そんなわけで夫って存在は悲しいことに色気からはどんどん遠ざかっている。そう考えると、「無駄」と「隠す」が自分的

には色気のキーワードかも🤔

機能性とか実用性のない無駄と思えるものに色気ってあるような気がする。見えそうで見えない、わかりそうでわからない、触れそうで触れない…みたいな状態に興味がそそられて惹かれるのかも。全開なのも、完全に隠すのも違うのよね。適度に隠すっていう…要はバランス?

見えそうで見えない…で「陰翳礼讃」という言葉を思い出した。谷崎潤一郎の陰翳礼讃は高校生の頃に読んだことがあって内容は覚えていないけど、なるほど確かにそれは色気と通じるところはあるねと納得した。なんだかスッキリした。色気の全てはまだわからないけど、暗さや影を大事にしていこう。

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雨で桜が散っていたよ。